カテゴリ:沿革
~昭和~

1988年(昭和63年)
「よい歯の学校」として全国表彰されました。この後も何回か賞をいただいています。給食後に歯みがきをする歯みがき週間、歯科衛生士さんの歯科指導、保健委員と校医の谷先生による歯の衛生行事など「よい歯の学校」としていろいろな活動をしています。2003年にいたるまで、優良校として表彰を受けています。


1985年(昭和60年)
横須賀市で初めての相談学級が汐入小学校にできました。
「学校へ行きたいけど行けない」「今は学校に行きたくない」など一時、学校を休んでいる子どもたちが通う学級です。

 

1979年(昭和54年)
「全日本よい歯の学校」20年連続受賞。
昭和18年頃から子どもたちの健康づくり・よい歯の学校づくりに力を入れ、校医の谷先生や歯科衛生士さんの指導を受けて神奈川県一の優良校になりました。

 

1975年(昭和50年)
ひまわり教室(弱視学級)ができました。
 

1972年(昭和47年)
創立100周年。5月8日に記念式典が行われました。汐入小学校は横須賀市で一番初めに100周年を迎えた小学校(最も古い)です。


1971年(昭和46年)
今の校舎ができました。昭和38年から5期に分けて工事を進め、鉄筋3階建ての今の校舎ができました。

ニコニコ山の造成

 

1965年(昭和40年) 
 鉄筋第二期工事完成

 

1964年(昭和39年)  
 鉄筋第一校舎完成

 

1962年(昭和37年) 
 創立90周年の航空写真と式典。

 

1957年(昭和32年) 
観音崎遠足(4年生)ゴジラのすべり台をバックに記念写真

 

1956年(昭和31年)
ひなまつり学芸会(3月) 

 

1952年(昭和27年) 
創立80周年 記念式典(11月)

 

1951年(昭和26年) 
秋の運動会 はしごに乗った「橋渡し」(6年生)

 

1948年(昭和23年)
PTA・教育となり組ができました。
PTAによって運動具がそろい、図書室ができ、より良い環境で勉強できるようになりました。
本町や汐入町は戦争後、風紀が乱れ、子どもたちが落ち着いて勉強できない環境になりました。そこで、「教育となり組」を組織し、いろいろな活動を行った結果、当時の新聞に取り上げられ、昭和32年には文部大臣の表彰も受けるほどに成果をあげました。現在も「教育となり組」は「育成会」として続いており、PTAと共に子どもたちの日常生活の指導に努力しています。

 

1947年(昭和22年)
汐入小学校に名前が変わりました。
戦争が終わり、今まで分かれて勉強していた男子と女子が一緒に勉強するようになり、名前も汐入小学校となりました。

秋の運動会 男子1000m 職員対児童のソフトボール大会

 

1945年(昭和20年)
空襲で8教室が全壊しました。

1944年(昭和19年)
集団そかい。3年生以上(約380名)が相模原の7つのお寺に分かれて生活するようになりました。空襲が激しくなり、防空ごうに入る時間も長くなり、家族になかなかあえませんでした。1・2年生は町内の風呂屋や供養堂などで勉強しました。校舎は食料庫として使われました。

学童疎開(相模原 長松寺)

 

1941年(昭和16年)
汐入国民学校に名前が変わりました。

卒業生(男子) 卒業生(女子)

 

1931年(昭和6年)
創立60周年を迎え、校歌がつくられました。作詞北原白秋、作曲山田耕筰(本校在席)

 

 

1930年(昭和5年) 

(休み時間の様子)

 

1928年(昭和3年) 
汐入小学校改築校舎完成。

 

1927年(昭和2年)
校舎を立て直すため坂本に分教場がつくられました。翌年、新校舎が完成し坂本分教場は昭和4年に汐入小から独立し坂本小学校になりました。昭和3年12月、新しい校舎が完成しました。

(坂本分教場)

 

1926年(昭和元年) 

(校庭での儀式風景)

 

公開日:2023年12月27日 04:00:00
更新日:2023年12月27日 10:59:45